column

http://www.rydeen.org/tomo/flash/kiroku.swf ↑のフラッシュを見て思わず書いてしまった。

・匿名の共同体(承前) ・2チャンネル閉鎖騒動 これは8月に起きた2チャンネル閉鎖騒動をあつかったフラッシュです。良ければみてください。 http://www.rydeen.org/tomo/flash/kiroku.swf これは、その騒動について山形ヒロオ氏が書いた文です。 http://www.post1.com/home/hiyori13/cyzo/cyzo200109.html 山形氏が指摘しているように、私たちは、もしかしたら匿名に人間による共同体が作れるのかもしれません。最近は、そのことの可能性について考えています。

・ホップスの「万人の万人に対する戦い」  17世紀の政治学者トマス・ホッブスは「リヴァイアサン」の中で、人間は人間に対して狼であると言い、それ故に、個々人は、自由をある程度制限し、何らかの強制力に従わせることは仕方がないと考えた。なぜなら、個々人は、各人で他の人間を出し抜こうとするからだと考えた。それ故に、匿名であることに守られた2チャンネルの掲示板など、ひどいことになると思われていた。

・アンダーソン「想像の共同体」と「匿名の共同体」  アンダーソンが「想像の共同体」で明らかにしたのは、私たちがナショナリズムと呼んでいる物の内実は、拡張された村落共同体の一体感にすぎないと言う物だった。昔、国は「郷(くに)」だった。何が起こっているか見渡せる範囲の郷のイメージは、やがて、藩に拡張され、そして、日本国になった。 昔、北海道のあるトンネルが壊れ、ちょうど中を通っていたバスが下敷きになると言う事件が起こった。マスコミは、連日連夜その様子を放送した。けれども、そのころ九州に住んでいた私は、只の他人事になぜそこまで、大騒ぎするのか分からなかった。しかし、一方でもっと近い台湾の大地震の時のマスコミの対応は冷淡な物だった。 つまりマスコミは、別に人命は、重いと思ったわけではなく、同一国民の命は、重いと言う虚構を守りたいだけだったのだ。実際に重いのではなく、重いと思わせる或いは、思われている状態におくのが重要なのだ。

・リアルコミュニティの衰退と、国家ー個人の二極化 リアルな共同体を構成している、地域、会社(学校と呼び変えても良い)、家族は、ものすごい早さで共同体としての一体感を醸し出す能力を、衰退させている。必ずしも共同体の機能を無くしていると言っているのではない、ただその共同体に属すると言うことを誇りにすると言うことが難しくなっているのだ。一方で、力を伸ばしたのは、共同体と言うにはあまりに巨大な国家、或いは余りに小さなカップルに収束してしまう。もっと中規模な共同体は、力を失ってしまっている。

・地域通貨とコミュニティの強度 最近、地域通貨がはやりだけれども、私は地域通貨を共同体を盛り上げるために装置の一つだと考えてる。しかし、逆に考えるだが、無理矢理盛り上げなければならない様な共同体に人が喜んで参加するのだろうか?地域通貨を導入すれば直ちに地域が活性化すると言う訳ではなさそうだ。その共同体に人を呼び寄せる力が無ければうまくいかないと言うことだろう。

・評価の方法宣伝 ネットコミュニティを、盛り上げる方法として、自体的な共同体内の仕事に加えて、それを宣伝風潮する能力も必要になるだろう。現在2チャンネル上のUNIX版は、みんなの感謝スレッドが乱立して、ある種の荒らしとなっているという不思議な状態にある。一つのフラッシュがまさに、ものすごい影響力を持ったのである。

・隣人は、テロリスト或いはコテハンのあの人かも知れない 宮台によると、私たちは、明日テロに会わないと信じている(積極的予期)のではなく、テロに会うという可能性を考えていない(消極的予期)と言う。 しかし一度、(消極的予期)から(積極的予期)に移行してしまうと、明日テロに会わないと信じるために、かなり強硬な手段取らざるを得なくなる。つまり無いと信じるに足るように他者に対する監視や他者の行動の制限が始まる。隣人はテロリストかも知れない。この想像は、他者に対する被害妄想をふくらませてしまう。否応無しに見ず知らずに人間に接しなければならない現代では、ある意味仕方の無い行動かも知れない。その結果、人は他人に対する権力の介入を許してしまう。権力が個々人の自由を奪っているのではなく、私たちの不安が権力に対してそうさせるようし向けている。 私がネットコミュニティに期待するのはむしろ、それが匿名のコミュニティである点である。つまり、隣人はテロリストかも知れないが、一方で、あの掲示板の人かも知れない。つまり、身内という概念に、匿名という要素が加わるのだ。これは今までに無いことだ。共同体は、身内に甘く、外に厳しい。これは共同体の成り立ちから言って仕方がない面もある。だから国連のアナン総長は、他者に対する寛容を訴えるしかない。つまり、外にも優しくと言う方法だ。 しかしこの方法とは別の方法として、身内がどこだが分からなくすると言う方法もある。匿名であるために、身内はどこにいるか分からない。それ故に、他者を身内として扱わざるを得ない。ネットコミュニティが一つの共同体として人々に帰属意識を植え付けることが出来れば、「意識的に他者に寛容であれ」という方法以外の、「もしかしたら身内かも知れない他者に寛容になる方法」を身につけるかもしれない。


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Last-modified: 2015-02-01 (日) 14:38:24 (992d)