書評

タイトルノイマンの夢・近代の欲望
副題情報化社会を解体する
出版社講談社選書メチエ
著者佐藤 俊樹 (著)
序章「情報化」の時代―情報技術は何を変えるのか?
第1章「情報化社会」とはなにか―社会の夢・夢の技術
第2章グーテンベルクの銀河系/フォン・ノイマンの銀河系―人間‐コンピュータ系の近代
第3章会社は電子メディアの夢を見る―ハイパー産業社会の企業組織
第4章近代産業社会の欲望―「情報化」のインダストリー
第5章超近代社会への扉―二一世紀近代と情報技術

この本の主題は、「情報化社会はこうなるという主張」はどの様に作られたかというものだ。情報化社会予測論は、30年ほど前から、表れては消えていく。著者は、情報化社会予測論それ自体が、その当時の社会状況を色濃く反映すると指摘している。つまり、未来のことを予測しながら、現実には現在のことについて述べている。
考えてみれば、「技術」が「社会」を変革するという概念自体が相当に、工業産業社会的だ。つまり、技術的な観点から、未来を予測する試みはかなり失敗しやすいと言える。
例えば、1970年代には、AIによって未来がどうなるかという議論が盛んになされた。一例を挙げるならば、「連想処理できるコンピュータ」などだ。そして、全然議論されなかった分野がある。ダウンサイジングの分野だ。当時の人たちには、「パソコン」の出現が、予測外の出来事だったのだ。実際には、予測されない分野が実現し、予測された分野は実現しなかった。無論全てがはずれた訳では無いけれど、ホンの30年前の予測を、私たちは振り返りもせず、今でも盛んに情報化社会像を提示し続けている。
考えてみれば、情報化社会予測市場(そんな市場があるかどうかは知らないけれど)は、だいぶお得な分野だと言える。たくさんの技術が生まれては消えていくので、その時々のテーマを適当に、組み合わせて、何事か未来社会のイメージに繋げれば一丁上がりである。そこら辺のコンサルトによる、一件何百万の案件=ソリューション?がすぐ出来上がる。しかも自分たちは、1行のソースコードも書かずに。何となく情報技術の上前をかすめ取る人たちみたいで、気持ち悪い。「経済政策を売り歩く人々」(クルーグマン)という本がある。この本では、経済の専門家と言われる人々が、如何に初歩的なミスを犯しながら、経済政策を政府に売り歩いているかを見ている。あと、10年経ったら、「情報化社会を売り歩く人々」という言う同じテーマのタイトルが出来そうだ。
この本では、安易な未来予測は行われていない。現実に未来を予測する作業は、困難を伴う。ただ技術は、「技術のみ」で進歩しているわけではない。それは背後に常にその時々の人間の欲望が隠されているのだ。社会学的に未来を論じるとは、そういうことを意味する。


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Last-modified: 2015-02-01 (日) 14:38:23 (3540d)