或いは、焼けた鉄板の上で踊り狂う人々 †
アマゾンへ、&amazon(406149788X); 鈴木謙介 ハイテンションな若者 †鈴木は、ニート、監視社会、携帯電話などの現象をベースにしながら、若者が見てる世界や状況を描き出している。そこから見えてくる風景は、、「あまりに将来の見通しが立たない為に、もはや躁状態にならざるを得ない」若年者の姿である。鈴木の主張をまとめるなら、「あまりに暗い未来予測に耐えるため、若年者は無理やりにハイテンションにならざるを得ない」と言ったものだ。。 熱した鉄板の上で踊る人々 †この本を読んで、私は熱した鉄板の上に囚人を乗っける拷問を思い出した。囚人は余りに鉄板が熱いで、鉄板の上で飛び跳ねるのだが、それが周りから見れば、あたかもダンスしているように見える。囚人は、熱くて飛び跳ねているのに、周りで見ている人は、「のんきにダンスしている」様に見える。その光景と、若者がカーニヴァル化する世界を生きる様は、奇妙にオーバーラップする。その熱した鉄板に気づかない「大人(マスコミ、政治家、官僚などの既得権益者、あるいは団塊の世代など逃げ切りが可能な正社員)」達は、今の若者は危機意識が足りないなどととんちんかんなことを言う。 熱した鉄板の正体 †その熱した鉄板の正体とは何か?それにどうして「大人(既得権益者、団塊の世代=ニート達の親)」は気づかないのか。熱した鉄板の正体は、今まで自明だった「ライフコースの喪失」に他ならない。「一流大学->一流会社->結婚->定年まで正社員」と言った戦後自明と見なされていたキャリアパスは既に崩壊している。 自明性の喪失 †そのような自明性の喪失(鈴木や宮台の用語では、「流動性予期」)は、色々な分野で起こる。今まであって当たり前だった「良い家族像」「地域の安全」の崩壊などだ。 多分、著者の鈴木が読者の共感を得るとしたら、それは私たちの「自明性の喪失感」を共有しているからだろう。今度は、若者の雇用を掘り下げて書いて欲しいと思う。全体として詰め込み過ぎの感はあるが、一つの筋は通っている。 |