書評
いつまでバグを買わされるのか | 噛まれたら命を落とす虫(バグ)もある |
マーク・ミナシ | なぜバグるのか |
植木不等式 | 欠陥の無いプログラムはつくれる |
ダイヤモンド社 | 法律が守るべきは誰なのか |
| バグと国益 |
| 反撃-ソフトウェアを改善する方法 |
| 二つの未来 |
| ソフトウェア自己防衛術 |
この本はバグについて書かれている。多くのプログラムの本は、バグについて工学的に書かれた本だ。曰くデバッグ技術だったり、ソフトウェアの信頼性だったり(これも工学に限定される)。
この本のユニークなところは、コンピュータの利用者が、コンピュータオタクではなくなった(コンピュータが家電化した)と言う事実を踏まえて、コンピュータが家電並みの信頼を持つためにはどうしたら良いかを論じる。
まだ、コンピュータがハッカーのおもちゃだった時代、誰もソフトウェアの品質についてとやかく言う人間はいなかった。気に入らなければ、自分で直せばいいし、それよりもクールな機能を実装してくれるハッカーが尊敬された。これがコンピュータにバグがあっても寛大な下地を造った。
コンピュータが一般に普及するにつれて一般の人間もコンピュータコミュニティに入ってきたが、その際ソフトウェアが低品質であっても無視される素地を造った要素は二つある。一つは、信頼性よりも、新機能に皆の目が奪われたこと、もう一つは、「ソフトウェアの不具合によりユーザーがどの様な損害を被っても、一切補償しない」と言うシュリンクラップ契約の効力であった。
けれども、コンピュータが日常品になり、あらかた出来ることが実現してしまうと、もはや信頼性を追求しない態度は、ソフトウェア会社の散漫さと取られる様になった。パソコンが家電品になると、バグがあっても仕方ないという態度は、(普通のユーザーにとって)単なる甘えだと受け止められる様になる。
ミナシは、ユーザーがソフトウェアの信頼性について、異議申し立てをすべきだと言った。そして現実にそうなり始めている。一つは、ウイルスなどにより、ソフトウェアのセキュリティが、テレビにすら登場することになったこと、もう一つは、(本書では触れられてないが)Linuxなどの代替品の異様な高信頼性である。ソフトウェア会社は、ソフトウェアの信頼性が、ソフトの売りになると気づき始めている様だ。しかし、まだ彼らのシュリンクラップ契約を無理に結ぼうとする態度は、変わりそうにない。
まあ、ユーザーも相当ひどい人もいるけれど。