雑記帳

2ch経済版より

1990年からの経済政策らしい

1.マクロ政策の不備(〜1991)
「行き過ぎた景気を早めに引き締めた方が良い」という経済学者サイドの提案は無視された。当時既にバブルという現象について、実態を遊離した資産価格の上昇という説明が広く知れ渡っていた。プラザ合意の余波という政治的要因があったとは言え、あくまで国内要因で金融引締めを求める声が多かった。ただし、一般物価が大変に安定していたのは確かで、引締めをする理由がバブルしかないという状況だった。また、税収の大幅増加と、前川レポートを根拠にした「内需型経済への転換」を背景に、公共事業の計画がいくつも実施に移され、同時に所得税減税も行われ、財政面でも拡張
型の経済政策が行われていた。【ここまでのまとめ】
・金融政策 緩和
ドル暴落阻止のための金利低め誘導
・財政政策 拡張
所得税減税、大規模公共事業計画の承認・実施
【余談】
当時は、製造業の人手不足倒産などというのもあり、実質賃金の上昇(福利厚生など待遇面の改善、交際接待費の事実上の青天井化)で、省人化投資が急務となっており、各企業努力で人手不足が解消されていた。また、内需型経済への転換で、第3次産業が大幅な
伸びを示したが、これは第2次産業に比して、やりようによっては必要な労働力が少ないからだと思っている。また、外国人労働者が増えたのもこの時期。都心部の居酒屋バイトが外国人化していった。

2.崩壊の予感(1991〜)
バブルという現象が広く知られるにつれ、「ソフトランディング」を求める声が強まる。これに対し、政府・日銀サイドは、ソフトランディングシナリオは考えにくいとして、対策を繰り延ばしにし、御用学者がソフトランディングに対して、「ハードランディングしかない」という言葉をしきりに使いだす。いわゆる観測気球か。行き過ぎた資産価格の上昇に対し、いくらお金を稼いでも地価がそれ以上に上がるのでいつまでたっても持ち家がもてないとし、ニュースステーションなどで、地価対策や内外価格差是正を求める声があがる。マンション転売で、藁しべ長者宜しく大もうけした人もいれば、相続税が払えずに転売された土地が土地ころがしの対象となり、都心部に空き地が目立ちはじめる。こうしたなか、大蔵省の窓口指導で「土地取引の総量規制」が実施される。同時に、税制面から資産価格上昇を食い止めようと、地価税・キャピタルゲイン課税が実施に移される。この辺に絡んだのは、いわずと知れた御用学者野口ユッキー。この時期は、「いつ、どういう形で、バブルが崩壊するのか」に関心が移りだす。そうした中、1回目の株式暴落が起きる。

3.決定的転機(1995〜)
1995年までは、バブル崩壊で個別には大損をした人が出たが、総じて慎重な対応が
行われ、急激とは言え緩やかに景気が減速していく。税収の減少にともない財政赤字が目立ちはじめる。住専など金融機関の破綻が問題として取り上げられる。私見だが、この時期の国民の反応はほとんどパニック状態だったと思う。国民は「俺達は悪くない。為政者が悪い。」という責任転嫁モードに入っていたと思う。「バブルに浮かれていた反省をしろ!」という自分を棚に上げた言いがかりが横行する。ノーパン喫茶接待をはじめ、「行政の管理責任」を問う声が強まる。そして、住専の破綻はまだしも、融資元の銀行に責任を求める声が強まる(銀行悪者化の開始)。青島都知事当選で、都市博の中止が決定される。この2つで企業心理は決定的に悪化し、銀行を中心に大リストラモードに突入する。いくつもの都市銀行が合併し、いくつもの企業が人員削減に乗り出し、いわゆる2番底に突入する。おりしも、橋本内閣は行政改革を行っている最中で、財政再建のために
・公共事業減少路線への転換
・消費税増税
の2つが実施され、また大蔵省の解体(財務省と金融庁)が決まる。6

4.薄日から絶望へ(1998〜2001)
橋本内閣は景気悪化の責任をとって小渕政権が誕生する。小渕総理は景気対策を重点に政策を実施し、公共事業(総額は橋本改革により制限されているので、公共事業計画の前倒しによる、いわゆる「真水」の増加を目指す)。また、いまだに決着がついていない「銀行救済」問題に、賛否両論渦巻くなかで取り組む。この頃は、完全に銀行が悪者となっており、銀行を破綻させなければ気がおさまらない状態の人が多かった事は覚えている。そこには冷静な判断はなかった。「俺達が景気が悪くなっているんだから、銀行だけが救済されるのはおかしい」という意見を、上手くオブラートにつつんでもっともらしく言うと、それだけで支持を集めた。ちなみに、銀行は2番底の段階で、大規模なリストラを既に敢行していたが、それは巧妙に無視された。BIS規制が強化されクレジットクランチという言葉が流行し、銀行の「貸し渋り」が問題になりだす。日銀の金融緩和の遅れに対する非難が、経済学者を中心に巻き起こる。とはいえ、財政面での下支えによって、一応は景気は小康状態を実現したが・・・
小渕総理逝去され、森内閣が誕生し、マスコミのアンチ森キャンペーンで、景気対策が
中断され、再度景気が混迷を開始する。

5.ブレーメンの笛吹き(2001〜)
「景気悪化の責任を誰かに押し付けたい」と思い「旧来の自民党は駄目」と思いつつも
「誰かになんとかしてもらいたい」という気持ちから、改革派の小泉政権が誕生。以下、簡単に書きます。・景気対策中止
・構造改革という名の官僚支配の強化
・経済政策への無知
2001年8月より、景気は再度底割れします。2001年9月、BSE問題発生、911テロ発生の前ですが、たまたまこの問題があったため景気悪化の責任が、これらに押し付けられます。失業率が大幅にアップし、財政赤字がどんどん膨らんでいきます。小泉政権になって3年経ちますが、まだどこが間違いなのか気がついていない人が
多いようです。


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Last-modified: 2015-02-01 (日) 14:38:23 (3364d)