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創造性と呪われた能力

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脳研究者茂木 健一郎による創造性についての本。彼は、創造性は一部の天才にだけあるのではなく、万人にあると言い切る。この本を読み進めるうちに、なんとも言えない違和感を感じた。それは、創造性をめぐる価値観が、彼と私では違うからだろう。

彼は、「創造性」を持つことが尊いと考える。私は逆に、創造性とは呪われた能力だと考える。その創造性をめぐる観点の違いが、なんとも言えない違和感を形作っているのだろう。

私も、創造性は一部の天才やエリートのためのものではないと考えている。だからといって、万人にあるとも思わない。多分、生き辛さを抱えた人たちに宿るものなのだろう。

創造性はそんなにありがたいものなのだろうか?

私にとって創造性とは、そんなにありがたい能力ではない。多分私にとって創造性は、欠落を意味するからだろう。創造性とは、ほかの人と同じ目線で考えることが出来て、かつ独創的なことを考えられる能力ではない、

むしろ、ほかの人と同じように考えられないかが故に、そのように世界を見ることしか出来なかったが故の能力だ。出来ることなら、ほかの人の様に、普通に世界を眺めてみたい。でも、その能力が無いが故に、形作られた世界観だ。

目が見えないが故に獲得した能力

うろ覚えだが、臨床心理学大系にこんな話が載っていた。ある視覚障害者は、聴覚を発達させてたとえば、目の前に看板があるとか、障害物があるとか判断することが出来ると言う話だ。多分、音響を聞き分けて、視覚を代替しているのだろう。多分、創造性もそのような能力だ。普通に生きられないが故に、身に付けざるを得なかった能力なのだ。

永野のりこの話

漫画家の永野のりこがこんなことを書いていた。小学生の頃、テレビで、コレクター:http://ja.wikipedia.org/wiki/コレクター_(ジョン・ファウルズと言う映画を見たそうだ。あるさえない銀行員が一目ぼれした美術大生を拉致監禁するお話。

次の日、学校ではその映画の話題で持ちきりだった。永野と他の女子もその話をするのだが、どうにも話題がかみ合わない。特にドキドキしたシーンが微妙に食い違う。よくよく聞いてみると、永野は、加害者の目線で犯罪がバレルのではないかとドキドキしており、他の女子は被害者の視点でドキドキしていた。

でも、互いが前提を確認しないまま、このシーンは、ドキドキしたと話すものだから、話題がすれ違っていたのだ。多分、このときすんなり被害者の視点でドキドキすることが出来れば、永野は、漫画家にならなかったろうし、普通になに不自由無くおばさんがやれていただろう。

どうして、そんなこと思いつくのですか?

ある展覧会会場で観客から言われた言葉。この言葉を聞いたとき、ちょっと考え込んでしまった。どうしてそんなこと思いつくのか?私は逆に、皆こういう風に世界を見ているのではないかと思っていた。ほかの人が思いつかないと言うことが逆に不思議だった。

昔、雑記帳アーティストは、何か新しいことを考えつくのではなくて、他の人がこう考え無いということが分からないのではないだろうか?と言うことを書いていたが、それに反応にしてくれる人がいた。とても嬉しかった。

「うちの子は、スポーツも、勉強も出来るし、コミュニケーション能力もあってみんなのリーダーにもなれる。ついでに創造性も身に付けさせようかしら?」と思っているお母さんへ

表現への道は、ケモノ道です。お宅のお子さんが、スポーツも勉強も出来て、コミュニケーション能力がバリバリあるのなら、悪いことは言いません。慶応の商学部とかに入れて、チョイスポなどのサークルを楽しませて、無事に商社でも銀行でも就職させてください。下手に、表現で食っていくなどと言い出したら目も当てられません。多分向いてないです。

まとめ

普通に生きられればそれが一番素晴らしい


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Last-modified: 2015-02-01 (日) 14:38:24 (1045d)